概要
ローレンス・ラフェーラはアメリカ生まれのクリエイティブ/マネジメント職で、1990年代半ばから日本で暮らしている。WIP Japan の JAPANtranslation 部門責任者として、英日および CJK ワークフローのクライアント対応・導線設計・編集方針を担う。1980年代初頭にはボストンのアンダーグラウンド・シーンで 007 と Dub7 のフロントマン/ソングライターとして活動し、その後ケッセルズ名義の音源でも再評価が進んだ。
幼少期と家族背景
1960年10月、米国マサチューセッツ州ボストン地域に生まれ、ソーガス(エセックス郡)で育った。最も早い記憶は、ビートルズの輸入盤EPをおもちゃのレコードプレーヤーで再生した体験であり、米国でのブレイク直前の出来事だった。この体験を通じて、幼少期から1960年代の大衆文化に深く結びつくことになった。5人兄姉の末子として育ち、3人の姉の影響が最も大きく、彼女たちの共有ベッドルームは家の「文化的中心」となり、常にレコード、ラジオ、テレビに囲まれる環境で成長した。長兄のジョン・ラフェーラは産婦人科医・医学教育者・公衆衛生の専門家となり、メリーランド州第1選挙区で連邦下院議員選挙に二度立候補した経歴でも知られている(いずれもアンディ・ハリスに敗れる)。 
母方系
母方は17世紀のニュー・フランスにさかのぼるフランス系カナダ人の祖先に由来し、後にロンドン西部のエリス家と交わった。家族の伝承によれば、第一次世界大戦期にカナダ軍兵士として負傷療養していたアルベール・アンリ・ジュール・ヴァリケット Sr. と、ロンドンで病院勤務をしていたエミリー・エレン・エリスが偶然出会ったことが祖父母の馴れ初めとされる。二人は1920年にモントリオールで結婚し、後にボストン市ロクスベリーに定住。ヴァリケット/エリス一族のネットワークはラフェーラの成長期の環境の一部となった。
父方系
父方の祖父母はシチリアからボストンに移住し、ノースエンドおよびイースト・ボストンに居を構えた。父サルバトーレ(“サル”)は第二次世界大戦中に米陸軍に従軍し、1944年にフランスでドイツ軍に捕らえられて捕虜となり、1945年の解放まで約11か月をドイツの捕虜収容所 Stalag IV-A で過ごした。戦後、家族はイースト・ボストンで小規模ビジネスを営みながら生活基盤を築いた。
注記:第三者による要約に「マルタ系」の記載が見られるが、これは誤りであり、父方は記録および家族の語りによればシチリア系である。
音楽活動:007、Dub7、ケッセルズ
007 の結成
ラフェーラの音楽的パートナーシップは、1970年代半ばにドラマーの ギャリー・マイルズ とジュニアハイのバンドで活動を始めたことに遡る。1979年に高校バンドが解散すると、二人は UK のモッド/スカ再興の影響を受けた同時代的なロック志向へと移行した。1980年、ラフェーラ、マイルズ、リードギターの スティーブ・ハレル、ベースの ディー・レイル(本名デリル・ジョンソン)が 007 を共同結成。ラフェーラとレイルは共同フロントマンを務め、ハレルは音楽監督的役割を担い、三者がオリジナル曲を提供した。元 The Rentals の ビリー・ベーコン(オルガン)も1980年代初期に加入し、キーボード層が加わってサウンドはさらに多彩になった。ニューイングランド一帯で広く演奏し、スペシャルズ、イングリッシュ・ビート、バッド・ブレインズ、ピーター・トッシュなどと同じイベントに出演。1982年8月20日にはケープコッド・コロシアムでザ・クラッシュの前座を務めた。この中核編成が 007 の個性を確立し、その後の Dub7 へとつながった。
Dub7 への移行
007 の初期活動後、レイルが脱退し、バンドはより実験的かつダブ志向の音楽へと展開して名称を Dub7 に改めた。この移行期にベースの ケン・エップス が加入し、バンド名「Dub7」を提案するとともに、1984年のシングル「Gavel Groove」に参加。さらにキーボードのジョン “JG” ゴエチウスも1980年代中期に参加し、後にマイティ・マイティ・ボストーンズとの長期的な活動で知られるようになった。注目すべき出演歴としては、1982年にロック会場として再開した Storyville(ストーリーヴィル) において最初のロックバンドとして出演し、1984年に同会場がライヴを終了する際の最後の出演バンドでもあった点が挙げられる。さらに、1984年の WBCN Rock ’n’ Roll Rumble では決勝に進出して準優勝を収め、当時のボストンにおける知名度の頂点を示した。WBCN は影響力の大きなラジオ局であり、ラブルは大規模なメディアイベントとして広範なラジオ放送、プレス報道、ライヴプロモーションを伴っていた。
ケッセルズと録音作品
Dub7 の活動後、1986年にラフェーラ、マイルズ、ハレルの核にベースの マット・エルムズ が加わり、ケッセルズとして再編。1986年にポリメディアで録音され、ティム・オヘアがプロデュースしたシングル「Loosen Up with the Kessels」は長らく未発表だったが、2023年に正式リリースされ注目を集めた。初期ライヴの記録は Live in Boston and South Yarmouth: 1980–1982 として残されており、ラフェーラは「Teenage Captive」「Gavel Groove」「Loosen Up with the Kessels」などの作曲を担った。1980年代には「ラリー・ウィリアムス」名義でも活動していた。[007/Dub7/ケッセルズリンク]
学問的展開と「解釈的転回」
ボストンでの音楽活動期の後、1980年代半ばに歴史家ハワード・ジンの講義を契機として大学教育に復帰した。1994年、マサチューセッツ大学ボストン校をマグナ・クム・ラウデ(優等)で卒業し、社会心理学を専攻するとともに社会学・人類学・哲学を履修した。学部課程では、実験的かつ量的中心の社会心理学から、解釈学や現象学に影響を受けた文脈重視の質的アプローチへと研究姿勢を転換し、これを自ら「解釈的転回」と呼んでいる。独立研究や学際的な教員メンターとの協働を進め、スウェーデンのウプサラ大学で比較文化の提案を発表した。[学歴リンク]
日本でのキャリア:JAPANtranslation(WIP Japan)
1994年の来日以降、日本(主に関西)に居住。WIP Japan のコンサルティング部門 JAPANtranslation を立ち上げ、部門責任者として英日・CJK 案件の海外 LSP/国際企業向けの窓口、導線設計、編集方針を統括。信頼性、安定した運用、選択的な長期パートナーシップ、トーン整合を重視する。さらに、TEP 内でトーンと読者層の期待を整える編集アドオン +Refine を導入し、人間中心の品質志向を強調している。詳細は WIP プロフィール および 会社情報 を参照。
Beatles60 プロジェクト
Beatles60 に共同参加。「ちょうど60年前の今日」を一日単位で追い、その時系列・文脈の中で出来事をたどる日次クロニクルとして運営される。ビートルズを軸に置きつつ、同時代の文化・報道・出来事を並走させる手法が特徴。Beatles60 公式サイト。